私とコンピュータ

  • 1958年ころの論理回路の状況です。
    真空管やリレーにかわって、トランジスタやパラメトロンが使われるようになってきました。

  • 1950年代の日本の電算機の状況

  • 大学の見学旅行 1959年春国産のメーカを見学しました。 当時の日本のメーカの状況です。

  • 私は1959年の4年生の夏休みに富士通にゆき、2週間の間実習しました。当時の学生はメーカに勉強に行ったものでした。 この時は、後のFACOM-222に使う論理回路のテストのための計算機をいろいろと勉強させて貰いました。

  • 私の卒業研究は、電子交換機の研究をやっていた喜田村研究室で、磁歪遅延線メモリ関係のテーマでした。

  • コアメモリの開発1960年(昭和35年)、私は入社してすぐコアメモリの開発に従事しました。
    今は懐かしい、教育センタのF-222 の写真など

  • ROMとマイクロプログラムの研究をしました。 試作のモデル計算機も作り、この成果は電気通信学会誌に投稿しました。

  • プログラム課に1963年暮れに移りました。 富士通の中でソフトウエアをやっている部署は当時はここだけでした。

  • IC計算機 270-30の開発
    1965年の春には、アメリカに出張して当時採用が始まったICの技術を調査し、ICを使った計算機 F270-30を開発しました。このマシンは、計算機の設計・製造技術の調査のために役立てました。 ICを使用した計算機の設計製造体系を構築しました。

  • IC計算機の設計自動化
    IC計算機の開発と一緒に、設計・製造の新しいシステムの開発をしました。
    社内にDesign Automationを担当する部隊ができ、ここで開発しました。私はユーザとして作業に加わりました。

  • DIPSのプロジェクト 昭和43年(1968年)から昭和46年(1971年)暮れまで、電電公社のデータ通信用の大型計算機の仕事をしていました。

  • Mシリーズの開発 昭和47年(1972年)から昭和51年(1976年)暮れまで、IBM互換の計算機システム Mシリーズの開発の仕事をしていました。

  • 日本語処理OASYSの開発 昭和52年(1977年)から方式部に移り、新しいビジネスに関連する仕事をしました。