Mシリーズ


日本では、コンピュータは自由化されていませんでした。大切な産業であり、これを自由化すると外国の コンピュータが日本に入ってきて、日本のコンピュータ産業が壊滅的になるという懸念があったからでした。 しかし、外国からの要求も強くなってきたので、ついに国内のコンピュータメーカを強力に助成することにして 自由化へとむかってゆくことになりました。
政府は昭和46年秋、翌年度から「電子計算機等開発促進補助金制度」を 新設することにしました。
日本のメーカを3つのグループにして、助成することになり、富士通と日立 日電と東芝 沖と三菱の 3つの コンピュータグループができました。
富士通は日立と一緒になって、IBM互換のシリーズを開発することになりました。 これまで、日立はRCAと技術提携の関係にあり、RCAはIBM互換路線になっていたことから、IBM互換路線は自然の 流れでした。富士通は純国産メーカを自認しており、これまでは海外のメーカとの提携はしていませんでした。 富士通ではいろいろ検討の末、強力なコンペティタであったIBMの互換路線で行くことにして、日立と共同で 開発をすることになりました。 ほかの二つのグループは、独自路線をゆき、IBM互換路線だったのは、富士通と日立だけでした。

富士通と日立では Mシリーズというコンピュータシリーズを開発することになりました。 上から M4 M3 M2 M1と4つのモデルを作ることになり、富士通は M4とM1を担当することになり 日立はM3とM2を担当することになりました。

これが後には商品化されて、上から M-190 M-180 M-170 M-160というモデルになりました。 私のメモによりますと、1971年11月には、日立と打ち合わせをしています。 IBM互換路線と一口にいっても、具体的にはどうするかなど、議論がありました。

いろいろ議論の末、アーキテクチャとしては数種の命令を追加し、チャネルのDATを追加することになりました。
IBMのアーキテクチャでは、チャネルのデータはアドレス変換機構がなく、直接アドレスを対象に読み書きが行われるようになっていました。 Mシリーズでは、命令部分と同じようにアドレス変換を行うようにして、これでオンラインの性能を上げようしました。

  • アムダールのテクノロジ
    Mシリーズの開発と平行して、富士通はAmdahl Corporation との関係を深めて行きました。
    この会社は、IBMでSystem/360を開発した、Gene M. Amdahl 氏によって、ベンチャー会社として設立されたものです。
    彼の発想は、コストパーフオーマンスの優れたIBM互換機のハードウエアを作り、それを販売するというものでした。
    ソフトはIBMのものをそのまま使うという発想で、業界における独占的な地位ゆえ、米国ではIBMはこれらのマシンに対してソフトのサポートを拒否できない状況でした。 Amdahlのマシンは、超高速のLSIテクノロジを用いて、コストパーフオーマンスを向上しようとしたものです。
    当時のIBM360/168は80nsのクロックだったので、目標20nsのクロックのamdahlマシンは、4倍相当の速度が出せると考えられました。
    1チップに100ゲートの高速論理素子を搭載し、1枚の多層プリント基板に42個のLSIを搭載するという実装方式で高速を実現しようとしました。
    このLSIの製造や多層プリント板の製造、プリント板の配線などは、米国の会社で行うことになっていましだが、いろんな困難があり 最終的には、富士通が全部引き受けることになりました。

  • M-160の設計
    M-190はアムダールマシンと同程度の機械でしたが、M-160はもっと小さな機械でした。
    当時のグロッシュの法則によると、性能はコストの二乗に比例するといわれており、高速の機械ほど作りやすかったので、M-160ではこの部分に苦労しました。
    超高速のLSIを使って、中速のマシンを安いコストで実現するために、マイクロプログラムによる制御方式を使い、ハードを極端に少なくなるような設計をしました。
    通常のバイポーラの記憶素子をROMとして使いました。

  • ロジックシミュレータの製作
    LSIの計算機は製造した後では、LSIの内部を改造することが出来ません。したがって、間違いのない設計をする必要があります。 アムダールでは、そのためロジックシミュレータと称するICでできたハードウエアの実機を作りました。一枚のプリント板に1個のLSIの回路を ICを使って実現し、一枚のバックバネルが一枚のMCCに相当するというものです。
    M-160の開発でも、この手法をとることにして、ICを使ったハードウエアのシミュレータを作りました。
    この方式の基本的な問題点は、速度が落ちるために、速度に依存している入出力の制御がうまくゆかないということでした。
    シミュレータが完成して、OSを走らせようとテストをしましたが、ディスクの制御で使われているデータチエンやコマンドチエンがCPUが遅いため、 うまく動かないということで、このシミュレータも限界がありました。
    また、シミュレータ固有の問題も沢山あり、シミュレータを動かすためだけの苦労もしなければならず、 利害得失を考えると、全然得にはならないことがわかりました。
    従って、次のM-180IIの開発ではシミュレータを作りませんでした。
    論理設計では徹底的に論理シミュレーションを行って、ソフト的にデバグをすることと、製造したハードを試験する過程では、 LSI計算機といえども積極果敢に改造を迅速に行うという戦略でやりました。

  • M-180II
    日立と製作分担をしたので、富士通はM-190とM-160を作りました。 二つのマシンの性能の間隔が空いているため、この中間のモデルであるM-180IIを後で作ることになりました。
    マルチCPUの工夫や、ディスクコントローラとチャネルを一体化したIFPの採用など工夫がなされています。

  • Mシリーズの開発成果
    雑誌「FUJITSU」に1976年6月号(vol:27 No.4)FACOM Mシリーズ特集号 に掲載された論文の数々
  • IBM 360シリーズについて
    IBMは1964年(東京オリンピックの年でした)に System/360 というシリーズを発表しました。
    それまでは、トランジスタを使った第二世代といわれる大型の7000シリーズと小型の1400シリーズが 販売されていましたが、これを統合して、全く新しい計算機のコンセプトが出ました。