プログラム課での仕事

  • F-222の記憶装置に続いて、230-30などの記憶装置の設計をしていましたが、
    1963年暮れに、新しくできたプログラム課というところに移りました。 富士通の中でソフトウエアをやっている課は当時はここだけでした。
    この課では、FORTRANやFASPというアセンプラなどを開発していました。
    私達のグループは新しいことをということで、PERTや論理シミュレータを作りました。 これはF-222を使い、論理回路をシュミレートするものです。 論理シュミレータはこのあとで、ICのコンピュータを作るときに、Design Automation(DA)のシステムの一部として、活かせることができました。

  • 論理シミュレータは Logic Simulator LOS-1で、これをテストした LOS-1によるSinulation 実験の報告書が残っています。
    昭和38年3月19日 鵜飼の印があり、当時F250(あとの230-50)を設計していた鵜飼さんが、実際に試した報告書です。
    こちらが文章の中身です。

  • 230-30のためのプログラムシュミレータをF231上に作りました。
    農林中金のデータ通信のために230-30が使われたのですが、ハードが稼働する前からソフトのデバグをする必要がありました。 230-30の命令セットは既存機種のF231とよく似ていましたので、同じものはそのまま実行して、そうでないものは、プログラムでシュミレーションをするという手法です。 1964年12月1日の日付があり、このまえがきに趣旨が書いてあります。
    1964年は東京オリンピックの年で、このプログラムのデバグのために、大阪のセンタに F-231を使いにゆきました。 できたばかりの新幹線に乗ってゆきました。大阪では、東洋の魔女のバレーの優勝戦を大衆食堂のようなところのテレビで観戦しました。

  • 1964年夏には、日興証券向けのデータ通信交換機 FACOM323の試験調整の応援に行きました。 この機械は、日興証券で使っているテレックスを使った電文の送受信を全部制御する電信交換機です。 回路は1MHzの回路を使い、プログラムはEIコアを使ったROMに収容されています。 作業メモリとしては、磁歪遅延線メモリを使っています。 大容量のコアメモリ(私の設計の流れをくむ装置)がランダムアクセスメモリとしてついています。 装置全体が二重化されていて、大きな筐体が部屋の中に20本も並ぶというような、大規模な装置でした。 東京駅の近くの日興証券に設置されて試験中でしたが、初めての装置ですから調整に苦労していました。
  • 私は全体のコンソールを作りました。 各筐体ごとにランプ表示はあるのですが、全体をまとめて表示させることが必要だったからです。 ネオンランプとスイッチを、テーブルに取り付けて、必要なレジスタが表示されるようにしました。
  • プログラムはEIコアのROMに入っています。これを現場で頻繁に変更するので、プログラムの内容がどうなっているか、 メンテナンスができなくなっていました。 そこで、このROMのデータを、紙テープにパンチして出力して、当時の有隣電機に頼んでF-231で動く逆アセンブラを作って貰って、 プログラムの内容を印刷できるようにしました。