1984年OASYS-Liteを発表



1984年5月15日 OASYS-Liteを発表しました。
  • ニュースリリースです。
  • ニュースリリース添付の写真1 です。
  • ニュースリリース添付の写真2 です。
  • 翌日の新聞記事(1984年5月16日) です。
    この記事のように、朝日毎日といった一般紙がこぞって記事にしました。 やはり、一般の人にワープロが広まっていった勢いを感じます。

    オアシスライトのカタログです。
    発表して、ビジネスショウに展示しましたが、その時に使った4ページもののカタログです。
  • 表紙 ワープロ第2世代というキャッチフレーズです。
  • 言葉が街に飛び出した と大きくかいてあります。乾電池だけで使えるというところがミソ。
  • 性能諸元 です。22万円と大きく書いてあります。もちろん、親指シフトキーボードモデルしかありませんでした。

    8月には商品を出荷しました。出荷に合わせて、秋吉久美子さんを使った宣伝を行いました。 8ページもののカタログです。

  • 秋吉久美子の表紙
  • 2-3ページ 思わず言葉でカメラしました。のキャッチフレーズ アメリカの砂漠でとった写真
  • 4-5ページ 軽さ、 親指シフト 日本語は勿論欧文もオッケー 編集機能、熱転写プリンタなどの特徴を列挙
  • 6-7ページ オプションも軽量、精鋭主義 バブルメモリ、磁気パブルを使ったメモリです。40ページの文書が蓄積できます。バブルメモリは乾電池で動きました。 オアシス100シリーズとの接続アダプタ オーディオカセットテープにも、30分テープで40ページの文書が保存できました。
  • コンピュータとの通信機能 オアシス100とはシリアルポート経由でつなぎました。この他に富士通の大型計算機Mシリーズとの間で 通信ができるようにしました。MAILMAN というソフトを大型計算機で動かして、オアシスライトを端末としてつかって 文書の送受信が行えるようにしました。 まだ、パソコン通信が無かった時代に通信機能をサポートしたのです。

    操作のガイドとして、紙のマニュアルとともに、音のカセットテープをつけました。

  • サウンドマニュアルの音声が聴けます。

    全国オアシス販売会社代表者会議における発言(1984年5月16日東京プリンスホテル)

    オアシスライトを発表した日に、全国の販売会社の代表者を集めた会議を行いました。
    富士通のオアシスの方針を伝えて、 売って頂くお願いをする会議でした。

  • 山本社長の発言
  • 成田専務の発言
  • 神田の発言
    当日は、発言をテープにとり、大和速記さんの協力で、すぐにオアシスで文章になおして、レーザプリンタで印刷して リソグラフで印刷して、当日の出席者に配付したのでした。この印刷物から採録しました。
    新幹線での移動ワープロ教室(1984年6月13日)

    オアシスライトの発売にあわせて、新聞記者へのキャンペーンを行いました。
    移動する環境で、オアシスライトを使ってもらおうというわけで、最初小田急の新宿-小田原の車内で行う計画で、調査しました。 ところが、小田急は揺れがひどくて、文字をみると、酔うことがわかりましたので、今度は新幹線にかえました。
    新幹線は良好で、東京から熱海までゆき、熱海から引っ返してくる車内で行いました。
    一つの車両を全部予約してやりました。しかし、動く車内で準備も大変でした。まず、車内で説明をして、あとは個別にトレーニングです。 この催しは大成功で、いろいろな新聞の記事になりました。
    この報知新聞の記事(184K)は詳しく書いてあります。
    社内雑誌の記事です。こちらの写真が鮮明です。


    ワープロの出前教室

    オアシスの拡販も力が入ってきました。 出前ワープロ教室というのを盛んにやりました。
    機械(マイオアシス)を自動車につんで、各地を回るのです。10人位のグループで申込み があると、インストラクタが乗った自動車でゆくわけです。
    日刊ゲンダイとのタイアップのワープロ教室のパンフレットです。1984年8月15日
    この日刊ゲンダイのビラ1出演は富岡さん。親指シフトの使い方を教えています。
    ビラその2で、注文をうけつけました。


    振袖姿のワープロ打ち初め式

    ワープロの普及を願って、書き初めならぬ「打ち初め式」をやりました。1985年1月11日(金曜) 亀戸天満宮に集まって行いました。 Liteを使って、 振袖姿のオアシスレディを20名集めてやりました。 このお嬢さん達の中にはワープロは初めてだという人も多く、にわか勉強でやってもらいました。 この1985年1月17日の東京新聞の記事の他にもいろんな新聞に掲載されました。 おはらいをしてもらいそのあとで、うち初めをしました。 「情報社会が発展してゆきますように」という祈願文などを打ちました。
    全員の記念写真です。
    打ち初め富士通ニュース1985年2月号


    女優の岸恵子さんと神田の写真同じく富士通ニュース1985年2月号
    1985年7月には、 OASYSLite Sを発表しました。 思い切った82,000円という安い価格をつけました。 色もアイボリー、レッド、ブルー、ブラックの 4種類つくりました。宣伝には渡辺えり子、嵐山光三郎、南伸坊さんの3人を使いました。 表示は液晶8文字、16ドット。プリンタは16ドットの熱転写のものです。


    1985年9月には、 OASYSLite Fを発表しました。 これは携帯用を狙ったもので、本体とプリンタは分離しており、液晶表示は40文字×5行の表示にしたものです。 プリンタは感熱式24ドットです。 価格は本体が114,000円 プリンタが55,000円 合計169,000円と少し高めになっています。


    1985年11月には、liteシリーズ3機種を追加しました。 Lite K LiteMと 一番安い Lite U です。
    Kは上位機種で、20文字×2行の表示、プリンタは24ドットです。79,800円です。
    Mは8文字表示、プリンタは24ドット 59,800円です。
    Uは下位機種で、8文字表示、プリンタは16ドット、49,800円です。このオアシスが歴代の機械で一番価格の安いものです。
    結果としては、プリンタの16ドットはやはり実用的ではないという評価になり、16ドットのプリンタはなくなってゆきます。 また、あまり安い機械もお店では手間がかかるわりには、儲けが少ないということなどの理由で、安い機械もなくなって 行きました。


    1986年4月には、LiteFの後継LiteF2を(148,000円)だしました。5月にはやはり、LiteM2(59,800円)をだしました。 また、5月には、LiteKFD20(114,800円)というフロッピのついて機種をだしまた。これが、これからのワープロになってゆきます。 8月にはLiteK20(79,800円)というフロッピなしのものもできて、4機種がLiteシリーズになりました。 LiteKFD20とLiteK20のカタログと LiteF2 LiteM2のカタログです。