1982年MyOASYSを発表



1982年5月6日 My OASYSを発表しました。
  • ニュースリリースです。
  • 翌日の新聞 です。
    いままで、ワープロは業界紙での報道が中心でしたが、朝日、毎日、読売、東京、サンケイなど一般紙が 製品発表を伝えるようになりました。
    75万円という価格が当時はいかに驚異的であったかが分かります。

  • 日本経済新聞 です。
    日経の本紙に写真入りで報道されるようになりました。従来では、日経産業新聞にのるくらいでした。 産業として世の中に認められてきたということが分かります。

  • 朝日新聞に掲載した全面広告1982年5月10日 です。
    これまではワープロの広告も日経新聞などが中心でしたが、これから一般の人が相手だというわけで、 朝日新聞に出した全面広告です。この紙面が当時の富士通の意気込みをよく表しています。 ビジネスショウ5月12日-15日でした。 富士通では、MyOASYSの宣伝に、新聞広告、雑誌広告、駅や電車のポスターの他にテレビコマーシャルの スポットを大々的に流しました。

  • ビジネスショウ会場のアドパルーン です。
    晴海のビジネスショウの会場に念願のアドバルーンを3つあげました。 ビジネスショウでもアドパルーンは滅多に見かけないものです。 会場の建物からあげることはできませんでしたので、近くのビルと契約しました。 「ワープロはマイオアシス」というのが2本、もう一つは「富士通(第三会場)へどうぞ」というものでした。 屋上には見張りの係がいて、風が強くなると下ろすとか結構手間が大変でした。

  • NHK取材の写真 です。
    NHKのテレビの取材のため、1982年5月14日南多摩に収録に来たときの写真です。 5月29日に放映の番組「定着するかワードプロセッサー」には、南多摩の場面は出なかった。
    左は電機大の脇先生、白い服長谷川プロデューサ、その左は神田。
    右奥に、マイオアシスが並んでいる。手前と左奥に見えるのが、組み立て中のOASYS100である。
    当時は各社とも、大量に物は作っておらず、他社は工場を見せるのを断ったという。富士通だけが見せた。
    OASYS100の最初は、周辺機器の部門でやっていたので、明石工場で製造した。すぐ、端末のグループに 移ったので、割合早い時期から南多摩工場で製造していた。100の方はコンベアラインで生産していた。

    マイオアシスのカタログ
    8ページもののカタログです。高見山を全面的に使っています。 このようなカタログは業界でも初めてでした。
  • その1 表紙高見山の顔が全面にあり、オアシスが日本語をおもしろくする。のキャッチがあります。
  • その2 見開き左・ 高見山の大きな左手・
  • その3 見開き右・ 高見山の大きな右手
  • その4 変換の説明・単語登録の説明
  • その5 中左高見山がマイオアシスを持っている。
  • その6 中右 高見山 単語は国語辞書一冊分
  • その7 レイアウトのこと、印刷のこと
  • その8 カタログ諸元 ・全体の写真・価格は75万円と表記してあります。

  • 減点パパの広告 です。
    当時の週刊ポストには古谷三敏さんの減点パパが連載されていました。そこで、このマンガの号外という形で宣伝マンガのパンフレットを作りました。
  • 中身の一部分 です。
  • 本物の週刊ポストのマンガ です。
    ところが、本物の週刊ポストの1982年6月25日号のマンガに殆どそのままの形で掲載されました。 「ほう富士通のマイ・オアシスか」というふうに広告のようになっています。

  • ワープロ少年 子供の科学 1982年8月号です。
    MyOASYSを自宅に持って帰ってテストをしていたら、子供が勝手に使うようになりました。 「子供の科学」にワープロの紹介記事を書くことになり、記者に話をしたら、是非取材させて欲しいと、自宅に来ました。
    「子供もOA時代! ワープロ少年神田周一くん訪問」というグラビアページになりました。
    小学校三年生で漢字もそんなに知らないのですが、オモチャ感覚で勝手に遊んでいました。 この左の紹介の文章は、記者の目の前で打ったものです。 右の時刻表は自分で勝手に作っていたものです。文字パターンを暇にまかせて作っていました。

  • プレイボーイ誌にのったイラスト です。1982年11月号
    アメリカのプレイボーイ誌の日本版の男性向け雑誌「PLAYBOY」誌の中の最先端を覗くシースルーeyesというグラビアページに MyOASYSの精密イラストがのりました。これは広告ではなく、雑誌側が勝手に記事にしたもので、あとで、この大きなポスターを 作ったりしました。 中身がよく描かれています。

  • シエアの状況1981年度 です。
    1982年6月15日の日経産業新聞の記事です。日経新聞社では毎年マーケットシエアの調査をして、それを発表しています。 1981年の出荷シエアで、前年度の5%から21%になり、16%の上昇で、トップになりました。
    大きな見出しで、「日本語WPは富士通」とあります。

  • 設置実績 です。
    これも1982年11月ころの日経産業新聞です。オフィスでは富士通のワープロが40%と圧倒的に沢山使われていることがわかります。

  • シエアの状況1982年度 です。
    1983年6月の日経産業新聞の記事です。日経新聞社では毎年マーケットシエアの調査をして、それを発表しています。 ワープロは台数でのシエアがでています。 82年度のマーケットシエアは富士通27% ,東芝18%,キャノン12%,シャープ9.3%,日本電気9.0% といった数字になっています。 またこの記事には、業界の状況などがかかれています。

  • 1984年5月4日付けの、 「日本語を手でしゃべる機械」というタイトルの朝日ジャーナルの記事です。
    その2 , その3 , その4
    情報化時代の人と技術は- という連載記事で、聞き手は朝日新聞の大山茂夫さん。
    この記事は私の考えがよく伝えられています。